コーティング専門店GLOSSY
プロフィール
GLOSSY代表:森 新太
主な経歴
・新潟市東区生まれ
・新潟工業高校機械科卒業
・東京科学芸術専門学校卒業
・オートバイレース国際A級ライセンス取得
・関東エリア選手権GP125クラス年間チャンピオン
・全日本ロードレースGP125クラス参戦
・Moto GP 世界2輪ロードレース参戦
・全日本ロードレースST600クラス参戦
・オートバイカスタムペイント業界へ参入
・世界耐久選手権 鈴鹿8時間耐久レース
チャンピオンマシンのペイントを担当
・東京科学芸術専門学校講師
『モータースポーツ、塗装技術指導』
・千代田学園非常勤講師
『モータースポーツ、塗装技術指導』
・フェラーリ等、スーパーカー向け
チタンマフラーブランドのプロデュース
・サーキットライディングインストラクター
・カーコーティング専門店『GLOSSY』代表
・本質のカーケアブランド『SPECIALE』運営。
・カーケア特化メディアサイトの運営及び監修
『月間10万PV獲得』
『僕が使命に出会うまで、』
俺の人生、終わった。
預金通帳の数字が減り続ける毎日、、、、。
もうすぐ運転資金が底を突く。
開業から1年たった時、
メンテナンスで戻って来た車の状態を見て僕は愕然とした。ボディーが『シミだらけ』になってしまっていたのだ。
原因は新潟特有の要素である『融雪剤』10年以上関東に住んでいた僕にとっては『盲点』だった。
それからというもの、『メンテナンス』🟰『やり直し』の日々。夜中までやり直しの作業をし、疲労が限界に達すると床で就寝する生活が普通になっていった。
このままでは店が潰れるのは時間の問題。
借金で時間稼ぎをしながら、融雪剤に負けないコーティングを探す日々。ありとあらゆるコーティング剤を取り寄せ、実験を重ねた。
しかし、結局どれもゴミ同然の代物だった。
ハイブリッドだろうが、ナノテクだろうが、『新潟』で使えなかったら意味無いんだよマジで。
やるだけのことはやったが間に合わなかった。
ちょうど借りたお金も無くなり、
僕は店を畳むことにした。
でも、不思議とすっきりした気分だった。
色々実験できて楽しかったし、諦めもついた。
その後就職が決まるが『うつ病』を発症し、
1年で退職。
それでもコーティングを諦められなかった僕は再び『GLOSSY』の再始動を望んでいたが、『融雪剤によるシミ』のトラウマから一歩を踏み出せずにいた。
偶然出向いた研修会で素晴らしいコーティング剤との出会いがあり、シミへの悩みは解消されたが、どうせなら『世界一のセラミック』を使うべきだと思い立ち、設備含め数百万円を投資。
世界トップ2社の『正規代理店の権利』を獲得。それからは仕事が楽しくて仕方がない毎日が、今も続いている。
マジであの頃には戻りたくない(笑)
僕の約束
このような道のりを経て、お客様や同業他社様から、
たくさんの高い評価をいただける様になってきました。
更に良いサービスと本質のカーケア知識をお届けするため、オリジナルのカーケアブランドやコンテンツ配信など、あなたのお役に立てる活動を続けて参ります。
この、劣悪な環境である新潟において、
快適なカーライフを送って頂くべく走り続けることをここにお約束します。
『GLOSSY』代表 森 新太
F1ドライバーを夢見るほど車が好きだった僕だったが、高校へ進むと興味はオートバイへ移り、プロレーサーへの憧れが強くなった。
東京の専門学校へ進学し、先輩に連れていかれたレースに当日エントリーさせられ出場するといきなり表彰台に乗ってしまった。
これをきっかけに、自分のことを『天才』だと勘違いし、プロを目指すことに。
サーキットでの練習日以外は昼も夜もアルバイトの日々。
当然食事も質素。
バイトの賄い以外はほぼ毎日、納豆と実家からの仕送り(さとうのご飯)だけを食べる極貧生活。お金がないのでオートバイはズタボロ。
カウルはガムテープで修理していたので、転ぶとすぐにバラバラになった。
それでもなんとか自分で修理しながら徐々に成績を伸ばす。
諦めない気持ちだけで関東エリア選手権の年間チャンピオンを獲得し、相変わらずズタボロのオートバイを携えて全日本へ参戦。
2005年にはmotoGP 世界二輪ロードレース選手権参戦を果たす。
その後チームのスカウトにより、プロライダーとして全日本ST600クラスに参戦。
約10年のレーサー人生に区切りをつけ、引退を機にGLOSSYを立ち上げる。